KIKUMIMix 呼ばれなくても飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん

289月/030

期待が狭くするココロ

ケモノゆえに洗濯物にも乗ります  以前、保育園にお迎えに行ったとき、園庭で誰かのお母さんと園長先生が話しているのが耳に入った。
お母さんA「最近時々、子どもの顔を見るだけでもうキーッとなっちゃって...」
園長先生B「そういうときは、少し長く園に預けるとか、休息をとったほうがいいですよ。お母さんといえども人間なんだから」
 てな会話で、そのときは「そうだなぁ。ワタシも二人きりでワガママ言われるとキーッてなることあるもんなぁ」とか単純に思ったんだけど。
 先日「つれない彼女」ってのを書いた後で、なんとな〜く考えてしまった。
 そういえばカルメンに対して「ダメよ!」と叱ったことはあるけど、多分「腹をたてた」ことはないんじゃないだろうか。迷惑度で言ったら、相当のこと1をされたこともあるはずなんだけど、怒りは覚えたことがない。
 なんでだろう?何が違うのかなぁって、疑問に思ってしまったのだ。


 いろいろ考えてみると、Aっくんに対して腹が立つときといえば、こちらの言っていることを無視するときとか、目の前の何かがほしいためにチョーテキトーな嘘をつくときとか、そういう「人間として通じ合わないとき」だった。子どもといえども人間である以上判るはずなのに、何でこいつは判んないかな!?と思ってしまうみたいだ。
 カルメンは「最終的にはケモノ」であり、人間とは違う生き方をしていると思っているから、少なくとも「期待」はしてない。顔を見たら寄ってきてほしい、というのは、「期待」じゃなくて「希望」だ。
 つまり、「判ってくれるはずだ」と期待をする、その期待を裏切られると「怒り」になってしまう。一方「希望」は「叶わなくてもともと、叶えば嬉しい」。
 てことは、「期待」はココロを狭くして、「希望」はココロを広くするものなのかな。
 そういえば、オリンピックの前後には必ず「メダルに期待しすぎるのはヨロシクナイ」という論調の話が出てくるよね。そういうときは「あたりまえジャン」なんて思っていたんだけど、いざ自分の子育てレベルになると、実践できてなかったらしい。
 多分ココロを広くする「期待」の仕方もあるんだろうけど、今のところワタシはその境地に辿りついてない。そゆわけで、今日からなるべく「希望」の子育てにしていこう2。と決意したのであった。

  1. 明日納品で、8割方完成していたDTPの原稿を夜中2時にふっ飛ばされたり、連日深夜3時に起こされて1時間ほど遊びに付き合わされたり、ベッドの下にすずめの死体を隠されたり...。今思い出してもやっぱり腹は立たないなぁ。 []
  2. どーでもいいことだが「こそだてにしていこう」を「子育てに指定校」に変換するのはいかがなものか。子育てに指定校があったら恐いっちゅーねん。 []
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